非正規雇用モンダイの問題
非正規雇用の問題を
考えてみた
以下は辛辣な私見なので
覚悟がある人だけ読んでほしい
ずばり言うけど
非正規雇用の流れは
もう止まらない
ダニエル・ピンクがかつて言ったように
これからはフリーエージェント社会なのだ
「将来設計ができない」
「格差をなんとかしろ」
とデモして騒いで
企業だって将来が見えないし
社会保険の負担も大きいから
正規雇用をしたくない
正規雇用ってものじたい
なくなるかもしれない
だから非正規雇用の流れはとまらない
問題はシンプルだ
給料ではお金が
足りない時代になった
だけどそれに
気づいていない人がいたり
あるいはど
収入源を増やし方を
知らない人がいる
ということだ
振り返れば
高度経済成長の時代
パパ会社は、ママ専業主婦だった
そのあとバブルが弾けて
パパとママは共働きになった
21世紀は
共働き+他の収入が必要な時代になったのだ
だから正規雇用だろうと
非正規雇用だろうと
給料以外に他の収入源を持ったほうがいい
リストラや定年後を考えたら
なおさらだ
わからない人は、
すでにやっている人にサッサと聞こう
日本の学校の教育制度は
半世紀は遅れているので
こんなことは教えてくれない
そして、
どうしてもそれが嫌な人は
国会前でデモしよう
(ちなみに小川は大学卒業後、ずーっと複数の収入源でいきているので、非正規雇用の問題も定年もリストラも何も縁がありません、笑)
街の変化、人の顔
私は埼玉の狭山市に住んでいる
5年ほど前に狭山市の駅前が新しくなった
前は、細々だが個人商店が並んでいた
280億円をかけた開発によって
個人商店はほとんどなくなり
代わりに
全国チェーンの店がそこに並んだ
いい悪いの話ではない
それが全国で起こっていることだ
いや世界的に起こっていることだ
(この前フィンランドから来ていたトーマスくんの故郷も同じだと言っていた)
個人店では家族の顔が見えた
先代のことも知っていたり
そこの親戚スジまで知っていたり
女癖の悪いと評判のオヤジがいたり
出来のいい息子がいたり
ギャンブル好き奥さんがいたり
なかなか面白かった
そこにあったのは
物質としての店だけでなく
店を経営する家族まで含めた
人生とストーリーのある
自分の街の一部だったのだと思う
チェーン店になると
すっかり様子が変わる
店員さんは名札はついているけど
どこのだれだかわからない
ちゃんとしたマニュアルがあり
全国どこでも同じ対応がされる
初めて買い物をするには安心だけど
人がロボットに近くなるみたいだ
280億円もかける価値があるのか
わからない
こんなことだから
就職ではマニュアル通りに仕事がこなせて
個性を殺した人が重宝がられる
現代は
人の顔がどんどんなくなっていくのだ
これは働く人にとったらストレスだ
自分らしくしてはいけないのだ
映画「千と千尋の神隠し」で
千尋が忙しさの中
自分の名前を忘れそうになる
それがリアルに現代と重なる
どうしたら
自分の顔をなくさないように生きられるか?
考えながら生きていたい。
細菌がオモシロイ
キタナイ、病気になる、
やっつけろ、と
細菌は目の敵にされてきたけど。
地面の中でも、身体の中でも、
ずいぶん役だっていることが
サイキンわかってきた。
でも、ちょっと考えれば
そんなのは当たり前の話だ。
生命誕生から40億年、
人類が生まれたのを700万年とすると、
生命は99%以上人間無しでやってきた。
人間なんて、細菌に比べたら、
赤ん坊より幼稚でちっぽけなものだ。
世界の細菌全部の重さを足すと、
人類全員の体重を足したよりずっと重いという。
地球は細菌だらけ、ウジャウジャなのだ。
そう考えれば、
人はいろんな菌とまくやりながら
生きるしかない。
全部やっつけようなんてのは、
いかに野蛮な話か見えてくる。
どこかの政治家だけを批判できない。
抗生物質の乱用は
耐性菌をどんどん誕生させ、
農薬の乱用は植物の健康を損ね、
結果的に人や動物の健康を損ね、
さらに土地の砂漠化を招く。
細菌をいかに味方につけるか
インテリジェンスを研ぎ澄まそう
幸せになる方法を考えてみた
今こんなに豊かな時代に
生きられるというのは
ほんとにスゴイことだ
ボクが子供の頃は
肉はめったに食べられなかった
おかずはキンピラゴボウとか
ナスのミソ和えとか
魚はメザシかニシン
ステーキなんて見たこともなかった
テレビは1台祖父が独占
エアコンもなし
電話のない家庭も多く
クラス名簿には(呼び出し)といって
近所の家の電話が書いてあった
海外旅行なんて
一生かかっても行けないと思っていた
ところが
50年も経って
夢はすべてかなってしまった
誰だってステーキぐらい食べるし
エアコンもテレビも好きに使え
みんな当たり前のように携帯電話を持っている
ハワイだって夢ではない
今はとんでもなく
豊かな時代なのだ
でもなんか変だ
夢のような生活のはずなのに
夢のような笑顔の人が少ないのは
何故だ
電車に乗っている人
歩いている人
50年前から見たら
毎日が夢のようなのに
どうして顔がウキウキしていないんだ
幸せになるには
もっともっと
豪華な生活が必要なのか?
それは人間だから欲はあるし
ボクだってそうだけど
コレ以上の追求はある程度限界だと思う
人の幸せは
もう少し他にもあることに
気づいていい時代じゃないだろうか
それで今の自分に改めて聞いてみた
じゃあ
どうなったら自分は最高なのか?
そうしたら
◼まわりの人をもっと好きなること
◼失敗も含め、生きて経験できることを大喜びすること
◼自分の可能性をもう少し試してみること
そして・・・人のためなんて無理せず
◼知らないうちに誰かの役にたつことができたっら
そうしたら幸せだと思った。
あなたはどう思う?
脳が情報に溺れる
インターネットの普及で
個人に届く情報量は格段に増えた
2006年の段階で
例えば就職、旅行、買い物、乗物など
私たちが選べる情報量は、
自分が実際に選べる情報量の
2万倍を超えたという
そして今は
さらに増えている。
もともと人間は
3つぐらいの選択肢から
1つを選ぶのが快適と感じるという
ランチメニューもA、B、C
3つぐらいから選ぶのがちょうどいい
選べるランチが20種類もあったら
迷うだけだ
現代は、選べることが多すぎるて
選べない時代なのだ
豊かを通り越してカオスだ!!
・何の仕事がいいのか?
・いつ誰と結婚したらいいのか?
・何に投資したらいいのか?
・何が自分がしたいのか?
脳にはもうわからないし
仮に何かを選んでも
他の選択肢のほうがよかった気がして
心の平和は得られない
そして資本主義の社会は売上をあげるため
さらにエスカレートして
身体に悪かろうが
ゴミになろうが
脳の判断を狂わせる魅力的な商品を
どんどん押し付けてくる
この情報カオスの中で
自分に必要な選択をし
幸せに生きるには
あらためて
①「資本主義の社会」というのは
人をどんなふうに支配しているのか?
②自分は何を求めて生きているのか?
ちゃんと学んで
自分の居場所を知ることが必要だと思う!!
↓
必須科目:
1 資本主義
2 心と脳のしくみ