ボクが姫路城より竜野に行きたかったワケ
在来線にあと20分も乗れば世界遺産で
国宝の姫路城がある
それにくらべ竜野は閑散としてて
観光地として人気度は比べものにならない
でもボクはだんぜん竜野に行きたかった
竜野のほうが絶対ステキだと思った
なぜなのか?
「喜びの美、滅びの美」という本がある
外村吉之介(民藝活動家)の著書だ
外村さんが言う「喜びの美」とは、
仕事する道具や人が作り出す美しさだ
農家の物置に並んだカゴと鍬
古民家の板塀、土蔵の白壁
これらが持つ素朴な美しさは
自らの優位性を誇示するためのものではない
用のため、何かに役立つため
無駄をなくしたものだけが持つ
働き者の喜びの美だ
これに対して
外村さんの言う「滅びの美」とは
用のために作られたとしても
自らのユニークさや優位性を他者に誇示するため
装飾に重きを置いたモノや生き方のもつ美だ
王や貴族ための金銀を散りばめた道具や
豪華な衣類や食事だ
自らを他より高く見せようとしている時点で、
卑しさを感じてしまう
実はこの2つの違いは、生き方にも
同じようにあてはまる
人に役に立つために
学び努力している人の持つ自然な輝きと
人から立派に見られるため
がんばっている人のもつ怪しい輝きだ
話を竜野に戻す
竜野は板塀と漆喰の町人の町だ
働くもののために作られた家々だ
そこには日本の原風景がある
キンキラな殿様デザインは似合わない
ボクが竜野を知ったのは19歳のときだった
映画男はつらいよ、寅次郎夕焼け小焼けを観た
竜野の町並の美しさ
学歴やステイタスを超越した人の喜び
喜びの美滅びの美は知らなかったけど
山田洋次監督の世界観に共鳴した
一度訪れたいと思いつづけ
40年越しの願いがかなった
山田洋次の監督作品は
貴族や上流階級のための美しさを愛でない
それどころかステイタスや学歴を偏重する生き方に
疑問を投げかける
ほんとうの美しさとか価値がどこにあるのか
考えさせてくれるのだ
ボクもたまには
上等な食事や宿に喜ぶこともあるけど
本当の喜びはもっと目立たないところにあることを
わすれたくない
やっぱり竜野は綺麗だった
たいした土産物屋もレストランもないけど
喜びの美があった
すれ違う子どもも大人も
素直にボクに挨拶をしてくれた
映画にも出た梅玉旅館の皆さんも
喜びの美の心にあふれていた
在来線で竜野を発って姫路で新幹線に乗った
姫路駅は外国人もたくさんいて
それはすごい賑わいだった
竜野の思い出を大切に持ち帰りたくて
姫路城は遠くから拝んで家路についた